よくこども目線と言いますが
おとな目線て何でしょうか。
よくこどもは
未だわからないんだからおとなが〜とか
おとなの責任うんたらかんたらなんてあると思いますが
それっておとな目線なんじゃないでしょうか。
おとなにもこどもにも責任があっていいんじゃないかな。
特に自分で選ぶ責任が。
まあ何でもいいよってのも選んでますよね。
これはこれで。
でもおとなは
この問題はこうじゃないか?
とかこどもは危ないことするから。。
とか色んな事を自分=おとな目線で決めちゃってるんじゃないかと。
おとなが判断する事が正しい?
おとなが判断する事がまっすぐですばらしい?
そりゃあちょっと無茶ですよね。
過去も無理だったし、今からも間違えるんじゃないかな。
しかも今のこどもは賢いですし、いい意味でそんなこと信用していないんじゃないでしょうか。
私なんか迷ってるいい例で、あっているか間違っているかもわからない事が沢山ありますし
そんな事わかるわけないじゃんって思ってます。
でもわからないからこそ耳を傾けることは出来ると思います。
そんな中で自分が出来る事をしていくって事が
いまの自分の出来る事なんじゃないかなあと思います。
被災地の支援活動をしていても思う事ですが
本当に自分は”いい事してる”とか
自分はこう考えるなんて言葉は必要ないし、そんな事はあり得ない。
いつも“たぶん厚かましいと思いますし、違うと思いますが、できるとしたら〜”
くらいの事だと思っています。
全ての主語が”被災地の方々は”でいきたいと。
3月11日が近づくと色んな思いがこみ上げますが、
先ずは被災地の方々に教えて頂きたい。
そして行動したいと思います。
そうすれば小さい鉢にも根が張り、もう少しばかり大きな鉢に移せるんじゃないだろうか。
その繰り返しの中で良い関係が出来ればと思っています。
3月後半に被災地より30名〜40名の方々を招いて保養に来て頂きます。
今、企画の真っ直中だからこそ
大切なことを整理したいと思って書きました。
峯岸